Some Folks Lives

買ったものとか、ゲームとか

SNSに付いていける人と付いていけない人

ミクシィに登録してみたんですが、マイミクがゼロなのでこのままなら退会させるよ、と警告が来ました。

 

ふむう。よくわからないものを理解するために登録したのに、使わないままでは意味が無いと、なんかしようと思ったけど、結局退会することにしました。

 

なぜかと言うと、「自分をネットに晒すことに、得体の知れない恐怖感」を感じたからです。
例えば、出身小学校で知り合い探そうかなと思ったら、本名書かないといけないと言われたんですね。

 

まあ当然といえば当然なんですが、まさにここで、「本当に大丈夫なのだろうか」と恐怖感を感じてしまいました。

 

たぶん、この「得体の知れない恐怖感」を感じる人と感じない人とで、こういうSNSに付いていけるか、いけないかが分かれるんだと思います。

 

で、以下は自分なりの適当な考察。

 

自分が思うに、人がパブリックな場に積極的に参加できるのは、その場での出来事が、他の場に波及する影響を、コントロール可能だと確信できる場合だと思います。

 

平たく言えば、「後々になって、思いもよらないところで、影響が出ない。その場のことを、後々に引きずらない。あるいは、影響が出たとしても対処可能である(いざとなれば尻尾切って逃げされる)」と思われるときに、安心して人に話しかけたり、やり取りに参加する気になるんだと思います。

 

もう少し言えば、要するに「その場のことはその場限りのこと」と割り切れること。
他の生活に、影響が出ないと確信できること。
うかつに声をかけてしまったり発言してしまったら、責任やらしがらみが出てきてしまって、それに引きずられるかもしれない、というような恐れがないこと。

 

この点から、自分なりに分析すると、こういうネット空間に対する態度には、大きく三つが分類できると思います。

 

①実生活とネット空間が、地続きで繋がっており、ネット空間が実生活のサブの位置づけになる場合
具体的には、リアルでの知り合い同士で、ミクシィやツィッターを利用するとか、そういう場合ですね。
この場合、ネット空間というのは、せいぜいリアルの関係の補助でしかない。
知り合い同士でネトゲやるとか、そういうのもこれに当てはまると思います。

 

こういう風に、リアルの延長としてネット空間に関わる、という場合だと、例えるなら「知り合いと一緒なら初めてのお店でも怖くない」みたいな気持ちになれるんじゃないかなあ。

 

あるいは、社会学者の宮台さんの言葉を借りれば、「仲間以外はみな風景」というか。
リアル知り合いとの関係だけが大事だから、それ以外の人にどう思われても気にならないよ~、と言えばいいのかな。
だから、SNSなどに参加することにあまり恐怖を感じないで済む。 

 

②実生活とネット空間の関係を、うまくシャットアウト・あるいはコントロールできる場合
具体的には、ネット空間にはあくまでも、仮想人格、アバターなどとして参加するにとどめ、そこにリアルの事柄を持ち込まないことができること。あるいは、自分でコントロールできること。

 

例えば自分にとってのこのブログも、やっぱりそれは、リアルの情報をどれだけ持ち込むかどうかを、自分でコントロールできるから、続けているのだと思います。
この場合、リアルのことは、むしろネットでの自分を飾るアクセサリーとしてのみ、持ち込まれるわけです。 

 

ただし、ネットとの関わりあいにおいて、実生活のリズムやペースをしっかり保てられるかどうか、というと、残念ながらそうじゃないケースも多く見られると思います。

 

それが
③実生活よりもネット空間がメインになってしまう場合
です。

自分を表現する場所、自分を認められる場所、それがネットにしかない、というような場合ですね。

 

ネットでの関係といっても、要するにそれは、係わり合いを一つ増やすということで、そうなれば当然、仕事とか、学校とか、それ以外の関係とスケジュールやら何やら調整しなくてはならなくなる。

 

そのとき、きちんと「あくまでも、メインは実生活だ」と割り切れるかどうか。
あるいは、割り切れるような仕組みが、ちゃんとあるかどうか。

 

多くのネトゲや、SNSでは、むしろ人々をネット空間に引きずりこみ、没頭させることばかりに目が向いてしまっていて、そのせいで実生活に弊害が出ても知ったことじゃないよ、みたいな態度が多い気がします。

 

で、率直に言うと、いまSNSとかネトゲにはまる人の多くは、①と③が多いんじゃないかなあ。
①ならまあ別にいいんだけど、③はちょっと問題かな。

 

②の場合だと、必要な情報を得るためだけとか、そういう「点」としてのかかわりだけが多くなるから、あんまりこう、ドップリ利用しなくなる気がします。

 

また、いざと言うとき尻尾切って逃げされるかどうか、が大事なので、あんまり個人を特定されるような情報とかは晒したくないし、また人付き合いなどで自分の生活ペースが束縛されたくない。 

 

そういう人は、あんまりSNSとか利用したくないというか、「なんか怖い」「よくわからない」ということになるんだと思います。