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【アニメ】まどか・マギカとシュタインズ・ゲート感想と考察【ネタバレ有】

そんなわけで、巨大壁掛けモニターで映画・アニメ鑑賞三昧の日々を過ごしている。

そんな中で、今回はとりあえずタイムリープものということで、まどか・マギカとシュタインズ・ゲートについて感想を述べてみたい。

 

 

【まどか・マギカ】 ☆☆☆☆☆

小池一夫氏が絶賛していたと聞いて、ぜひ見なくてはと思いつつこれまで見る機会が無かった作品であるが、やはり凄かった。

 

色々な論点があるが、やはり「暁美ほむら」にすっかりやられてしまった。

 

自分なりにあれこれタイムリープものを見たけど、暁美ほむらほど、タイムリープものに特有の悲劇性を体現している人物は無いのではないだろうか。

 

はるか昔に訪れた、最愛の人々との邂逅とその絆。

そして訪れる悲劇的な別れ。

その悲劇を覆す、時間遡行能力のカタルシス

複雑に込み入った因果の連鎖を解いていくミステリー性。

わずかな希望を求めて繰り返され続け、そして踏みにじられる絶望的な努力。

何度踏みにじられても立ち向かう健気さ。

しかし繰り返すほど生まれる、周囲の人々との、そして最愛の人との距離。

そして訪れる、決定的な絶望・・・。

 

当初は、ただのクールキャラと思っていたのが、あの回を見た時に、もうすべてが覆った。

そのクールさに至るまでに、どれほどの苦しみを得続けてきたのかと・・・。

そして、今まで見てきたすべてのシーンの意味がつながり、そのあまりに、あまりに悲しすぎる生き様に打ちのめされる・・・。

 

誰からも理解されず、助けたい最愛の人からも恐れられ、それでも、かつて交わした約束のため、決してもう戻らない邂逅の時を胸に、けなげに絶望的な努力を続ける・・・

 

その姿にもう、止めようとしても涙が止まらない。

 

ひぐらしのなく頃に」の梨花も、あえて言えば似たような境遇だが、梨花はそれでも、救いたい仲間たちとの邂逅の時は保ち続けた。

 

そこからすれば、救いたいと手を差し伸べるほど、相手との距離が開いていくほむらは、あまりにも悲しすぎる。

最後の「救い」は、ほむらにとって本当に救いとなったのだろうか。

 

まだ映画版を見ていない、と言うか、しばらく心の準備が出来るまでは見たくないが、映画版ではほむらは救われるのだろうか・・・。

 

いずれにせよ、5点満点中文句なしの満点。

 

シュタインズ・ゲート】 ☆☆☆

評判が良かったので楽しみにしていたが、正直言うと、うーん、と言う感じだった。

 

確かに全体としての構成の緻密さは素晴らしい。

 

が、やはり8話までがダルすぎた・・・。

確かに後半を見ることで、前半のシーンが意味があったことがわかるのだけれど、8話までが完全に「伏線のためのシーン」になってしまっていて、単独で成り立つほどの魅力が無い。

 

あとはキャラの描写が少しぎこちなく、共感が持ちづらかったというのもある。

 

ひぐらし」や「まどか・マギカ」と比較するのは酷かもしれないが、「大切な仲間との絆」を、セリフや設定としてでなく、ドラマとして描写することに失敗しているように感じた。

 

例えば、倫太郎が本気で牧瀬を怒鳴りつけ、牧瀬が冗談抜きで本気で怯えるシーンがあるのだが、あれだけのことがあれば、「軽口を叩きあえるような仲間」に戻ることは不可能ではないだろうか。

 

自分よりも筋力が上である男性にあんなマジ切れを見せられ、そしてそれに恐怖を感じてしまえば、通常の女性であれば、その後は冗談であっても、憎まれ口を叩くのにひるんでしまうように思う。

 

いや、その違和感を押し殺して「そういうものだ」で納得できなくもないが、そうすれば、もうそのキャラには没入できなくなる。

 

あとは、これは個人的な問題であるのだが、

「時間遡行を行い、時間改変を行うと、並行世界が分岐する」

という設定に、個人的にもともと違和感を感じていたのもある。

 

この「並行分岐」という設定は、ある意味ではタイムリープないし時間遡行もののファンタジーにおいて必然的に生じる疑問、つまり「過去に戻って過去を変えて悲劇を避けたとしても、じゃあその悲劇が起きた世界はどこに行くの?」という疑問に対する答えとして、当然生じるものだというのはわかる。

 

この世界線という設定をはじめて知ったのは、もうタイトルを度忘れしてしまったけど、長谷川裕一氏のマンガを読んだときである。

 

当時は、「なるほど」と思ったものの、しかし考えれば考えるほど、この「並行分岐」という設定には疑問が沸いてくるのである。

 

その疑問を一言で言えば

「地球という、宇宙の中のほんの塵芥にすぎない惑星の、そのごく一部で起きる事象が、全宇宙を分岐させるほどのインパクトを与えうるの?」

ということである。

 

「並行世界」が、神羅万象そのものがズレるということなら、地球から数万・数億光年離れた銀河および銀河群も、あるいはそのはるか果てにある(はずの)「宇宙の境界」(あるいは、さらにその先の「宇宙の外」)までもひっくるめて、同時に並行世界へと分岐することになるはずであるが、それがとても信じられない。

 

どういうエネルギー作用が働きかけるにせよ、光速をはるかに超えた距離にある事象までもが、地球の表面のごく一部で起きた出来事と「同時に」分岐する、というのは、にわかに納得しづらい設定である。

 

これについては、

「いや、平衡分岐するのは、地球とその周囲の宇宙空間程度の規模である」

と言えなくもないが

「なんで地球とその周囲の宇宙空間だけが並行世界を構成するの?」

とか

「仮に人類が火星に進出したらどうなるの?」

とかどうでもいい疑問が沸いてくる。

 

あえて納得いく答えを出すとすれば

「もともと無限の並行世界が存在しており、時間改変とは、ある並行世界から別の並行世界へと移行するだけに過ぎない」

というものだ。

 

確か先の長谷川氏の漫画はこの設定を取っていたように思う。

が、シュタインズ・ゲートはこの設定を取らず、過去を改変することによって、並行世界が分岐する、という設定なので、疑問が沸いてきてしまうわけである。

 

なので個人的には、ひぐらしやまどか・マギカのように、並行世界問題にはあえて触れない方がまだスッキリするのである。

 

とまあ、色々と述べてきたけど、名作であることに疑いは無いと思う。